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2011年12月

2011年12月31日 (土)

洗髪は医師がやります

手術、縫合した患者さんは術場、外来、病棟の入浴場でシャンプーで洗髪しています。血糊が髪にべっとりと付くのは嫌ですね。タオルで髪を乾かしてくれるのは看護師さんです。

これをやり始めてからお陰で感染はありません。抗生剤も術直前から2日だけです。今日は大晦日、よいお年をお迎えください。
 

2011年12月28日 (水)

リハとの毎週カンファランス

元旦から電子カルテ化する当院ではシャカステンにフィルムを出して説明するのも最後になりました。来年からは大きなモニターとなります。リハビリスタッフには急性期の病態把握に担当患者の写真を熟知することは必要で、そこから数ヶ月先の回復期を意識したリハビリが始まるんだと思い毎週やっています。

長崎リハビリテション病院 栗原正紀理事長と一緒に1年間働いた影響か、毎日リハ室には足を運んでいます。それだけでは不十分な為、週1回、このフィルムカンファでリハビリスタッフに情報伝達、リハビリとの意見交換の場となっています。私にとって、大切な時間です。

今年11月、12月に新たに脳血管撮影装置(DSA)、手術用顕微鏡、内視鏡、他手術道具が一新し、ハードは充実しました。

2012年も少しずつ日頃思っていることを書いていきます。2011年は311以降、震災関連の話題が多かった印象です。来年はいい年になりますように。

2011年12月19日 (月)

oo日間の通院加療を要す見込み

<交通事故後の診断書>

12月は師走という位で交通事故が多いように感じます。この診断書を書くのは正直なところ楽しい仕事ではありません、いつも渋々。重い腰を動かすとしますか~


・他覚的所見のあるもの(レントゲンで骨折、明らかな神経麻痺がある、挫滅創がひどい)で全治1ヶ月の見込み
・自覚所見のみのもの(打撲や捻挫など)は全治2週間の見込み

この程度は経験から判断して社会で許してもらえる範囲内かと私は思いますが定かではありません。交通事故の被害者は警察から診断書を書いてもらいなさいと必ず言われます。

交通事故の処理は、死亡は24時間以内、30日以内、1年以内、それ以上の期間経過後の死亡の4通りに区分されます。負傷については、全治15日未満の軽微な怪我、全治30日未満の軽傷、全治3ヶ月未満の重傷、3ヶ月以上の特に重傷の事故、と同じく4段階に区分されます。これにより反則点数や刑事処分が違ってきます。

全治と言うのは初診時に身体所見、画像から判定するのは難しいと言わざるを得ません。では全治が確定する半年とか1年先になってから区分し、運転免許の違反点数での免許停止や取消となると、再犯防止の効果が薄れるでしょう。科学的な客観性を重視して医学的に正しい全治O日に拘るのか、拙速であっても再発防止という社会的な要請を重視するのか、結局のところ我々外科系医師は後者を考慮し、経験から智恵を絞り判断しているのが現状でしょう。

一般の方はご存知ないと思いますが、外科系医師になるに当たり、大学医学部でも、医者になってからも交通事故診断書の書き方講座なるものはなし、明確な基準はなく医師の裁量一つで決定します。

~本日の記事は法務に詳しい方、複数の外科系医師の貴重な意見を参考に書いたことを付記します。ありがとうございました。~

2011年12月18日 (日)

大往生でした

医者になって臨終の場に数多く立ち会ってきて「力及ばず残念でした」というフレーズを私はよく口にしていた。90代の脳卒中患者が病院に運ばれてきた時点で身体所見とCT所見から何も出来ないと分かり、2人部屋を急遽個室として家族が最期の看取りが出来るようにした。

霊安室からご遺体を車に移動した後で遺族に挨拶した際、初めて「大往生でした」といつもと違うフレーズが口から出てきた。

今までと変わらず裁縫をしていた90代の老人が脳卒中を起こして病院に搬送、当日、あるいは翌日に苦しまずに亡くなられた時、老衰とは言えないが大往生とは言っていいのだろう。

2011年12月17日 (土)

奄美の鶏飯

鶏飯の元祖、みなとや。ご飯の上に、鶏肉や錦糸卵、椎茸、沢庵、ねぎ、海苔、島みかんの皮などと言った具材を乗せ、鶏ガラで採ったスープをかけて頂く郷土料理です。元来、薩摩藩の役人をもてなす料理であった鶏飯は鶏の炊き込みご飯だったのを鶏スープのお茶漬け料理としてアレンジしたらしいです。奄美大島から福岡行きに搭乗前に寄ったこの店での昼食、最高でした。昭和天皇がおかわりしたのも分かります。奄美に行ったらまた寄ってみたいです。

2011年12月11日 (日)

交通事故、被害者が居なくなっても通報義務

ある会社員が横断歩道を渡っている人をはねました。すぐに車外に出て救助するも被害者は知的障害者で「自分が悪い、悪いから」と自分を責めていたそうです。自宅に戻り家族と一緒に来院。家族は「ドライバーが大丈夫ね。」と言って立ち去ったと医師に報告。CTを撮ると頭蓋骨骨折でした。警察へ通報、警察が来院前に加害者が到着。被害者に謝罪しており、警察も事故処理開始。会社員は「すぐに病院へ連れていこうと思ったが、知的障害者で走って去ってしまった。しょうがなく家に帰ったが心配となり事故現場に近い病院に戻ってきたら被害者が外来に居た。申し訳ない。」被害者と加害者の間で微妙な食い違いあります。

12月は交通事故が多い季節です。明日は我が身、こういう場合、被害者を安全な場所に移動させ、その場に待機させ、車を安全な所へ移動し現場へ戻ると思います。もし、そこに被害者が居なかったら。。。交通事故では、名刺を渡すべきでも駄目ですし、警察への通報が法的義務です。

----道路交通法----
(交通事故の場合の措置)~第七十二条 1項:交通事故があつたときは、当該交通事故に係る車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において「運転者等」という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。この場合において、当該車両等の運転者(運転者が死亡し、又は負傷したためやむを得ないときは、その他の乗務員。以下次項において同じ。)は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(派出所又は駐在所を含む。以下次項において同じ。)の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度、当該交通事故に係る車両等の積載物並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない。~ 

人身事故で自らに一切違反がない場合でも、相手が軽傷で治療期間15日未満なら2点の違反点数が付きます。横断歩道上の事故であれば、安全運転義務違反で2点が付きますので、最低でも4点の反則点数になります。とほほ。安全運転、安全運転。おこした時は焦らず常識的な行動をとればよし。

2011年12月 8日 (木)

震災という非常時に便乗した人

震災後ネット上で活躍されていたある国立大学の教官が訓告処分を受けています。私立大学であれば実力行使でも文章削除を求めることがあったでしょう。それだけ大学教官の発言は社会的影響が無視できないということかもしれません。

新小児科医のつぶやき「非常時に便乗する人」より一部を紹介します。

~かなりの人々が震災前とは言えないかもしれませんが、かなりの平静さを取り戻して時点において、浮き彫りになった一群の人々がおられるように感じています。それらの人々は震災前でもそれなりに名のある人たちです。平時でも一種の斜に構えた意見の持ち主で、それなりの評価を得ていたと記憶しています。そういう一群の方々人々が震災を契機に水を得た魚の様に大活躍を始めます。

不安心理のツボを突く刺激的な意見を次々と発表し、文字通り世間の注目を浴びます。もちろん、そのすべてがガセとかデマと言う訳でなく、正しい部分もきっとあったと思いますが、それより何より人々が求める不安感情を満たすに十分な刺激的な内容を矢継ぎ早に繰り出して行っていたと思っています。一時は時代の寵児みたいな状態であったとしても言いすぎではないと思っています。

一群の人々にとって幸いであったのは、不安の題材が放射能と言う「怖い」事だけは知れ渡っていても、実体と言われると知らない人が多いものであった点も大きかったと思います。一時は「放射能は怖い」とさえ書けば、だれでも「そうだ、そうだ」の大合唱となるぐらいでしたからね。これに対して「そこまで怖がる事はない」「正しい怖がり方がある」みたいな意見は袋叩きにされていました。

それでもそこまでの強い不安心理であっても、それでも人々は徐々に醒めていき平静さを取り戻します。一群の人々は、醒めていく不安心理を逆に掻き立てる様な刺激で対応していたと思います。醒めるのと、刺激のアップは反比例し、しばらくは奇妙な平衡状態を保っていた時期もありましたが、ついに醒める時期が来ます。

そうなった時に無闇に刺激を強化していた一群の人々が完全に浮き上がってしまったと言えると見ています。http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/

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